脱毛の詳細
とくに高齢者は大病をしても大怪我をしても、従来は自宅でせいぜい開業医の往診をうけるのが精一杯の手当てであったのが、入院できるようになり、きちんとした医療が受けられやすくなった。
生活水準の向上とあいまって、この制度が高齢者の死亡率を減らし、平均寿命の延びに果たした役割は大きかった。
こうして急速な長寿化か進むなか、いつのまにか庶民のあいだにもなじみ深いものとなった「老人病院」というものが、いったい、いつごろから私たちの社会にあらわれたのか。
まず、なぜ「老人病院」が登場してこなければならなかったかという、必然的なかかわりを見ておこう。
私は一九六八(昭和四三)年に医学部を卒業したのだが、この当時から「老人病院」はあった。
しかしそのころは一般には知られざる、いわば「闇の世界」の存在であり、制度的な名称ではなく通称として一部で「老人病院」と呼ばれている病院が存在したのである。
民間の精神病院などが、身寄りのない高齢者を「老人性精神障害」(公費医療の適用)というかたちで、公費負担によってまさに「収容」していた。
長期的な介護施設を持たない行政からの依頼も多かったようだ。
私もそうだったが、卒業したての新米医者は、こういう病院から当直を頼まれる。
私も深夜に当直室にかかってきた電話で診察を依頼され、はじめて病室に足を踏み入れ、大部屋(二〇人部屋とか三〇人部屋という)にズラリと並んだ老人患者が、いっせいに自分のほうを見つめるのに思わず立ちすくみ、こんな世界もあったのかと驚いたものだ。
しかし行政、とくに社会福祉関係の人びとのあいだでは、こういう病院は周知の存在であって、いってみれば「棄老施設」としておおいに重宝がられていたのである。
日本の歴史においては、病気ごとに専門化した結核病院とか、利用者をあらわした市民病院とかというものはあったが、俗称であっても「老人病院」という医療施設はかつて存在しなかった。
「老人専門病院」が全国的に登場しはじめるのは、一九七三(昭和四八)年の老人医療無料化制度がスタートして以降である。
健康保険の自己負担分を高齢者については肩代わりする政策を、この制度に先だって有力な地方自治体が実行し(日本の歴史上はじめての、きっぱりとした地方分権らしい施策だったが)、やがて全国的に七〇歳以上の高齢者の医療費を無料化するようになった(国が三分の二、地方自治体が三分の一、費用を負担。
多くの地方自治体では、六五歳以上を無料化)。
この制度によって、さまざまな事情のために家族が世話しきれなくなった病弱老人は(そのほとんどが病気というよりは、身体的あるいは知的障害によるものだったが)、わざわざ世帯を分離して生活保護扱いにしなくとも、医療費が無料となった。
また年金がまがりなりにも普及したために、付添い婦などの自己負担費用が払いやすくなったため、「老人専門病院」は急速に普及する。
「老人病院」の本格的登場である。
日本の高度経済成長より、ちょうど位相が一〇年遅れて、つまり、経済成長の晩期に「老人病院」は成長のピークを迎えることになったわけである。
この時代背景が、「老人病院」を考えるうえでのポイントのひとつだ。
昭和三〇年代以降の高度経済成長、核家族化、平均寿命の急速な延び、内容の吟味のない医療サービスの無原則な量的拡大、そして地方自治体をはじめとする福祉行政の無策が、一九八〇年代初頭の「老人病院」が急速に社会問題化する背景をかたちづくってゆく。
この当時、全国で一般病院六七〇〇に対して、「老人病院」(老人入院率六〇%以上の病院)は、およそ一〇〇〇をこえるようになっていた。
知られざる世界にあった「老人病院」問題が、一般にひろく知られるようになったのは、一九七〇年代の京都府のある病院の事件からだった。
医療法人はその利益を病院事業以外には出`資してはいけないのに、この病院組織は利益によってビール会社や百貨店の株を大量に買占めて、露骨な金儲けに使っていることがバレて世論の批判を浴びたのである。
そしてこの事件を契機にして、「老人病院」の経営のノウハウが明るみにでた。
すなわち徹 底的な医師・看護婦減らし、私費による付添い婦の大量導入をはじめとして、「点滴漬け」、「検査漬け」、高い自己負担徴収の横行。
一方、リハビリなどはいっさいおこなわず、オムツを当てたままにして、入院したときは動けた老人も無理やり「寝かせきり」にしてしまう、悪名高い「ベッドしぼり」などの実態がさらけだされた。
このように、日本の高齢者介護が社会問題化した発端は、いわゆる「寝たきり老人」そのものの実態への問題提起ではなく、「悪徳老人病院」の営利優先主義の告発からであった。
悪徳 商法批判でしか、その告発がはじまらなかったという点に、この問題が容易に社会問題化しなかった構造が端的にあらわれている。
なぜそのような病院に多数の老人が、しかも長期間入院しているのか。
なぜ入院せざるを得ないのか、本人や家族はどう思っているのか、という事態の本質には迫らなかった。
というより、正しくは迫れなかった。
誰も解決策を示し得なかったからだ。
この病院へのマスメディアの告発は一九七三年ごろであったが、「老人病院」の登場から約一〇年くらいしかたっておらず、その急速な「発展」ぶりには今さらながら驚く。
日本の近代化の過程、とくに戦後の経済成長のなかで蓄積されてきた、高齢化による新たな生活困難とその世帯内の矛盾が、ここにきて一挙に顕在化したのであった。
老人医療無料化政策が、はからずもその水路づけをしたのである。
当時この政策をして、病院の待合室を老人サロンとし、“乱受診”のもとになった、医療費の高騰を招いた張本人だなどと、あたかもパンドラの箱を開けたごとくに批判する向きがあった。
また老人医療無料化政策がなかったなら、「老人病院」があれほど全国に普及することもなく、日本の高齢者福祉はもっとまともに発展したのではないか、という声もあった。
結果的にはそうかもしれない。
日本の高齢者福祉の問題が、かんじんの市町村レベルでなかなか表面化しなかったのは、まちがいなく本来は社会福祉サービスで受け止めるべきニーズを、健康保険制度を「駆使」して「老人病院」が大量に吸収してきたからである。
しかしそれは、高齢障害者や老親介護の辛苦に追いつめられていた当時の市民的立場からいえば、それまで日本の高齢障害者とその家族が、行政からいかに無視されてきたかをわきまえぬ議論というべきであろう。
指摘しておかねばならないのは、それ以前の一〇年間の中央および地方行政の「老人病院」についての沈黙である。
そもそも病院というものは同じくこの間急成長をとげたハンバーガーチェーンのような私企業ではなく、開設と運営について厳重な認可を必要とし、毎年行政による監査を受けていた施設だということである。
「老人病院」への行政の改善指導は、ついぞなかった。
マスメディアの「老人病院」の取りあげ方も、不十分なものであった。
反復するが、「老人病院」については病院の営利主義批判だけではなく、本当に取り上げるべきは、「病院」よりも「老人」のほうの問題なのである。
営利主義―悪徳商法-スキャンダルばかり報道され、たとえば基本的人権に照らしての、かんじんの「寝たきり老人」そのものへの関心を薄めてしまったのは残念なことだった。
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